『注文をまちがえる料理店』(小国士朗 著)の要約をflier(フライヤー)で読んだ。
要約だけど、すごく感動した。
『注文をまちがえる料理店』というタイトルの不思議さに惹かれて読んでみたけど、その意味を知ると感動せざるをえなかった。
「注文をまちがえる料理店」は実在する。
働いているスタッフは、みんな認知症の方々だ。
この事実を知り、ピンと来る人も多いだろう。
そして、いろんなことを想像すると思う。
なかには「認知症の方々を見世物にするなんてひどい!」と怒りの感情を抱く人もいるかもしれない。
その怒りの感情の根本は「認知症の方々を使ってお金を稼ぐのは悪だ」ということだと思う。
しかし、このプロジェクトが生まれた背景にはそんな想いは一切感じなかった。
認知症の方々が「人として“普通に生きる”」環境をつくりたい、というものである。
そして「働く人も、お客さまも、裏方も、やってよかったねと笑って帰れるようなレストランにする」だ。
不安と戦いながら、乗り越える大切さ
いきなりまとめみたいな話になってしまうが、私はこの本から何を学んだんだろう…と考えているうちに丸一日が経過してしまった。
- 認知症で自信を失って悩んでいた人でも「このお店なら!」と、働く元気を与えてくれる環境を作った
- これまでにない料理店のコンセプトを作った
- お客さんも楽しめて優しい気持ちになれるお店を作った
このプロジェクトではさまざまな人を幸せにし、社会に貢献していると思う。
言葉にはできないが、心が動いたことはたしか。
でも、具体的にコレという表現ができずもやもやしていた。
そのとき、Forebsの『「注文をまちがえる料理店」のこれまでとこれから』という記事を読んだ。
そこにはこのようなことが書かれていた。
僕につきまとっていた「認知症の人を笑いものにするのか、見世物にするのか」という不安。それは、ある意味においては、笑いものにしているのかもしれませんし、見世物にしているのかもしれません。おそらくこの先もその不安や恐怖は常につきまとうと思います。でも、その恐怖や不安を越えなければ、ことは何も動かないということもよく分かりました。
私は本で読んでいるのでこのプロジェクトが成功したことを知っている。
しかし、実行している張本人は、「認知症の人を笑いものにするのか、見世物にするのか」という不安だったという。
この気持ちはすごく分かる。
もし仮に私がこのコンセプトを思いついたとしても(思いつかないけどw)、実行するまでの行動力は正直ない。
万が一のことを考えてしまうだろう。
しかし、その不安や恐怖に打ち勝ち、このプロジェクトをやりきったこと、そして、成功させた著者は本当にすごい。
働いている人たちの動画を見て感動
「注文をまちがえる料理店」の公式サイトにあったこの動画。
働いているスタッフの方々がすごくいい表情をしている。
そして、以下もForbesに掲載されていた文章。
60代の若年性認知症の三澤さんは、僕に昔話をしてくれました。「社員食堂で働いていたときはさ、間違えたら当然怒られるよね。怒られるくらいだったらよくて、お客さんは帰っちゃう、下手したら私はクビだよね」。そして言うのです。「ここのお客さんは優しいよね。間違っても誰も怒らないもの。こういうところがあったらずっと働きたいよね。働くのはやっぱりいいよね」
この「働くのはやっぱりいいよね」という言葉にグっときた。
嗚呼、働けるのは当たり前じゃないんだなと。
環境に恵まれた中で働けることは、本当に幸せなことなんだなと。
「働く」=「仕方ないもの」と捉えている人は少なくないと思うけど、これが少しでも「働く」=「幸せな時間」になってほしいと思う。